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汐入地域の歴史

時代 西暦 年号 汐入の出来事 汐入の変遷
戦国時代 1561 永禄4年 上杉謙信の家臣、高田嘉左衛門、高田七兵衛、竹内庄兵衛、杉本佐右衛門が汐入の地に入る。 汐入の誕生
江戸時代 1640 寛永17年 胡録神社(大六天)。


江戸・東京の近郊農村として発展


1656 明暦2年 汐入大根が試作され、その後名産品となる。
18世紀頃 - 胡粉作りが盛んに行われる。
- 慶応年間 戸数16戸
明治時代 1868 明治維新 戸数21戸
1874 明治7年 戸数20戸
1878 明治11年 この年の胡粉の年間総生産量は6500貫目(約24,000kg。1貫目=3.75kg換算)。
1880 明治13年 耕地の広さが38町歩(約114,000坪。1町歩=約3000坪換算)。
1886 明治19年 戸数24戸
1888 明治21年 日本石油油漕所開設。



殖産興業の政策の下大規模工場が進出し工都として発展



1889 明治22年 地方橋場町から南千住町に編入。
1890 明治23年 明治2年頃より営業されたと伝えられるが、汐入の渡し舟が正式に許可される。
料金は大人、子供四厘(人力車の料金は一銭三厘、車は一銭)
※明治時代の一銭=今の100円、明治時代の一厘=今の10円くらいの価値。
1893 明治26年 戸数29戸
1896 明治29年 南千住駅開業。隅田川貨物駅開業。
1906 明治39年 東京毛織(鐘紡)の工場設立。
1909 明治42年 広さ16町歩(48000坪)で東京紡績(後の大日本紡績)橋場工場が新設される。
2600人の職工が勤務。
大正時代 1913 大正2年 王電(今の都電荒川線)三ノ輪橋⇔飛鳥山 開通。
1915 大正4年 戸数29戸150人
- 大正中期 耕地が3町歩(9000坪)に激減する。
1923 大正12年 米作りが終了。
1923 大正12年 関東大震災発生。
1923 大正12年 一時的に日本橋から汐入村の東(旧五瑞小そば)1500坪の河川敷に
魚河岸(千住鮮魚販売所)が移転される。



関東大震災以降、比較的被害の少なかった汐入の宅地化が進み人口が増加


1923 大正13年 関東大震災後、急速に宅地化が進む。
南千住町大字地方橋場字汐入180戸と石橋耕地80戸で計260戸となる。
昭和時代 1927 昭和2年 千住大橋鉄橋となる。
1932 昭和7年 第五瑞光尋常小学校開校。荒川区が誕生。
1938 昭和13年 東京府立航空工業学校開校(現都立高専)。
1940 昭和15年 南千住(回向院横)-汐入間に東武鉄道がバス路線を開通。
1941 昭和16年 汐入ポンプ場竣工。
1945 昭和20年 東京大空襲、終戦。
1947 昭和22年 荒川区立第三中学校開校。
1948 昭和23年 都バス 汐入線開通。
1949 昭和24年 隅田川護岸工事着手。
1952 昭和27年 戸数1136戸1704世帯9269人
1956 昭和31年 隅田川護岸工事完成。
1961 昭和36年 地下鉄日比谷線開通。
1962 昭和37年 東京球場開場(現・荒川総合スポーツセンター)。日紡廃業。
1969 昭和44年 都の江東再開発基本構想に基づき白鬚西地区(汐入)再開発が始まる。

再開発事業によって災害に強いニュータウンへ

1972 昭和47年 鐘紡廃業。
平成時代 1993 平成5年 リバーパーク汐入町会誕生
1996 平成8年 水神大橋完成
2002 平成14年 第五瑞光小学校閉校し、汐入小学校が開校。
2006 平成18年 千住汐入大橋完成。都立汐入公園開園。
2010 平成22年 汐入東小学校開校